菅楯彦

すがたてひこ 1878~1963


【作者略歴】

鳥取県生。本名藤太郎。号は盛虎、のち静湖。父は四条派の日本画家、菅盛南。
2歳の時に来阪、父の病気のため高等小学校を中途退学、画業で一家を支えることになる。
版画家である長谷川富三郎は晩年の楯彦が「私には少年時代が無かったですからね」としみじみ語るのを聞いたという。
以後独学で南画・狩野派・四条派の影響をうけた画風を築き、有職故実や国学・学の素養を深め、大和絵風の歴史絵を好んで描く。特に大坂の風俗を描いて名声を得た。雅楽にも造詣が深く、伝統雅楽の保存に尽力。
昭和32年、芸術院恩賜賞を受賞。昭和33年、楯彦と雅号を改める。昭和20年から22年まで倉吉に疎開。大阪府文芸賞、大阪市民文化賞受賞。日本画家初の日本芸術院賞恩賜賞受賞。倉吉市名誉市民章受賞。のち大阪市名誉市民の称号も受け、翌38年9月4日歿。享年85歳。

「菅楯彦とその世界」展 チラシ

「桜の宮」大阪市立美術館蔵