伯夷叔齋、許由巣父

はくいしゅくせい きょゆうそうほ


(はく)()叔齋(しゅくせい)

中国は殷の時代の二人の人物の名前で、伯夷は兄、叔齋は弟です。周の武王が殷の紂王を攻めた時、兄弟はその馬を叩いて、仮にも主君である紂王を討つのは不忠であると諌めたと言います。
しかし受け入れられず、のちに周の天下となった時、二人とも「渇しても周の粟を食まず」と俸給を断って首陽山に隠れ、蕨を採って食べ、ついには餓死したと言います。

史記に詳しい記述があります。


(きょ)(ゆう)(そう)()

 ともに尭帝の時代の隠士です。許由は箕山にあり、巣父は好んで樹上に居を営んだと言います。
ある時尭帝は許由の評判を聞き、これに天下を譲ろうとします。しかし許由は聞き入れず、かえって耳が穢れたと言い頴川で耳を洗いました。さらにこれを聞いた巣父は、頴川の水は汚れたと言って、その後川を渡らなかった、また牛にその水を飲ませなかったそうです。

絵画や刀装具に多く見ることができる好画題です。