物故作家の日本画、書画
「美術」のはじまり
現在では「美術館」とか「美術史」などと普通に使われる「美術」ということばですが、実は明治時代までは日本に存在しなかったのです。かつての日本にとって、文明国といえば中国でした。中国を目標として、指針としてずっとやってきたものが、明治になると目指すのは西洋だ、という考え方に大きく変わりました。
この時代には、衣食住のありとあらゆる場面で西洋のものが輸入されましたが、美術の世界にも同じことが起こりました。
ところがこれまでの日本にない概念が数多くあったものですから、その新しく入ってきたものにあわせて「美術」「工芸」「絵画」といったことばが新たに政府によってつくられ、新設の「美術学校」でそれらを学ぶことになります。
当然ですが、中国を第一の目標に努力してきた伝統的な流派は、心穏やかではなかったと思います。
「日本画」のはじまり
明治の大転換の時代に西洋から入ってきた西洋画に対して、では日本の絵は何と呼ぶか、そこでできたのが「日本画」ということばです。とても幅広い意味を持つこのことばには色々なものが含まれており、そしてどんどん西洋の技法も取り入れて発展していきます。現代の日本画のイメージと、当時のそれとは同じではないでしょう。
確かなことは、中国の技法も西洋の技法もうまく日本に取り込んで、日本流に消化していったものが現代の日本画で、さら
にこの先も様々なものを吸収して、消化しながら変化を続けていくということだと思います。
「書画」とは
「書画骨董」といわれるように、現在の「書画」ということばに対するイメージは、古い字や絵、という漠然としたものでしょう。それは間違いではなく、例えばお寺にかかっている達筆の字や古いお屋敷の墨絵のふすまなど、みなひっくるめて書画の範疇に入るのです。
古いというばかりでなく、その時代の技法を引き継いだものも指すため現代でも「書画展」が開かれます。これと区別して江戸時代から昔のものを古書画と呼んだりします。
明治以降にできた日本画とは異なる、中国を目指して発展していった絵画世界というとあいまいかも知れませんが、確かに存在する分野なのです。

西山翠嶂「藻刈舟」

中原南天棒「托鉢往還」

梥本一洋「湖畔麦秋」
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横山大観とか、東山魁夷、平山郁夫という名前はお耳にされたことがありかも知れません。また、地方地方で名前の売れている人もおられます。年鑑などに掲載されていない作家もたくさんおられます。
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円山応挙とか伊藤若冲など、展覧会で多くの人を集める画家はよく知られています。絵(画)だけでなく、字(書)もたくさん残っています。たとえば、西郷隆盛のような歴史上の人物の書も残っています。
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作品の内容やかたちなど、詳細を承わっておけばお探しすることができます。
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そのようなものばかりではありません。数万円のものもありますし、逆にもっと高価なものもあります。簡単に申しますと、作品の大きさや出来の良し悪し、保管状態、作家の名前などによって価格は大きくかわります。
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買い取りもさせて頂きます。保管状態の良し悪しによって金額は変わりますし、その作家の作品として優れたものか、標準的なものかなどによっても左右されます。また、現在人気があるのかないのか、飾りやすいものかどうかなども評価の基準となります。
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物故作家は作家や作品の出来具合により、大体その相場が決まっています。この画家のこれくらいの大きさの絵ならいくらくらい、というようにおおまかな相場が安定していると言えます。現存作家は、芸術家的な作家、職人的な作家、さまざまなタイプの方がおられますので価格もいろいろです。高名な作家の一点ものであれば高額ですし、同じ図柄をシルクスクリーンで大量に作る作品ならば安いです。印刷の工芸軸のような、プリント作品もあります。